代表プロフィール

中根 和宏(55歳)
趣味  バストロンボーンを吹くこと。
現在、管楽器での音域のギネス記録に挑戦すべく日々練習中。

1964年5月。僕は自転車屋の息子として生まれました。
子供の頃から店で工具をおもちゃに遊んだり手伝いをさせられていました。
小学校2年(1972年)
の時、石油ショックというものが起きて学校から帰ったら車輪を5本組まないと遊びに行けなかったのです。
遊びに行く為に泣きながら早く作業を終える事を身につけました。
おかげで高校を卒業した時には一通りの技術が身に付いていました。
学業不振の為就職は親のコネで自転車業界へ小僧として入ったのですが子供の頃からのアドバンテージは教えていただけると先輩達を驚かせてしまった事を覚えています。
今だに僕よりも早く車輪を組み上げる人に出会ったことがありません。

年季が明けてから画廊に行き企画の立て方や飛び込み営業の仕方を現場で教わりました。親父の急病を機に画廊を辞め丁度バブル経済が弾け、実家から通える運送会社に勤め4tトラックの乗り方を教わり集配する中で初月から支社内でトップを獲れたのも画廊での経験が活かされたと思っております。

輪界リトライは27歳で結婚した直後、当時コンクリートポンプ車に乗っていた時でした。レーシングチーム時代からの知り合い、春日井市の(株)東部の社長からオファー。

内容は取引先メーカーの組み立ての仕事をして欲しいとのこと。営業担当がこどもの日を前にCTBをチラシに入れたが工場の生産が追いつかず300台を売り損じそうで困っているとの事で2週間二足わらじで東部に泊まり込みその300台を仕上げた事がきっかけ。その噂を聞いたBS特販部から当時のユニー、ジャスコなどのカーニバルの組み立て納品を請け負いました。当時のユニー、ジャスコの春需車を全て一人で組み上げて各店舗に配備していたのです。

納品時に各店舗で売れ筋の陳列や売上を上げる工夫を提案してレポートを作っていったところ店舗はじめバイヤーにも名前を知っていただける様になれました。その話を聞いたヨコタサイクルからユニー全店を月に一度回って店舗フォローをして欲しいというかオファーも入り、BSとヨコタの仕事を受けてこなしていました。歩合制なので性に合っていた仕事です。
(株)東部としては特販部という新事業部で名刺をいただき平日昼間はツナギを着てコンクリートにまみれ、雨降りと日曜日はスーツ着て店舗廻り。夜はひたすら組み立てが当たり前になっていました。

二足わらじはそのまま、本業の収入をこるか超えないかのところで『AERO』というブランドを台湾のOEMで立ち上げるから力を貸して欲しいという事でポンプ車を降りて自分を最大限活かせる仕事が出来ると心踊らせた事を覚えています。
その当時年商1億足らずで従業員1人でしたがやればやっただけ年々売上が倍増していくが楽しくて家庭を顧みず毎月480時間を3年ほど続けて仕事していました。

台湾や中国の工場視察や品質改善に行かせていただける機会もあり言葉が通じなくても現場の技術指導はなんとかなるという自信も会得出来ました。

10年位前から心の奥底で思っていた事なのですがこのままでは自転車業界が廃っていってしまう様な気がしてならないのです。

6年前、セブンイレブンミールサービスの配備を仰せつかり全国を回らせていただく機会がありました。当然営業だけでなく、納品も兼ねて朝おろした荷物を4tトラック運転して夕方出発。翌朝博多、仙台というのは当たり前でした。
高い技術が有るのにお客さんが来ない、売り上げが少ないから収入も少ない、お金がなくなるから夫婦喧嘩が絶えない、子供は居ても後継は無くおじいさんの代で廃業予定というお店が沢山ありました。
実際、私の実家でも両親の喧嘩の時は修学旅行とか入学式とかちょっと大きなお金が要る時などに多かった気がします。

全国の小売店舗、卸業者さんへ背水の陣で飛び込んだ時、『名古屋からわざわざ良く来たな』と言ってこちらの条件を全てのんで助けていただいたご恩返しをしたいのです。

自転車の一般車は安く売るだけのお店に技術を持ったお店が追いやられてしまっているのです。
今回、2020年4月5日に一般社団法人  自転車技術者協会を設立する事で自転車所有する法人の営業をして同時にノーパンク加工技術や接遇などで自転車店を育て安定した修理、点検という仕事をお願いしていく事を目指しています。
自転車を仕事のアイテムとして活用され始めている法人の方々は車検が無い為壊れて動かなくなるまで乗ってしまわれるところが多く、企業の出費を抑え、効率良い営業活動をしていただくためにも

  • ノーパンク
  • 年に数度の定期点検
  • 保険加入(TSマーク)

の提案をしていきます。ここが出来ていない現状です。
それに対応出来る自転車店を既存店、新規店で募りエージェント会員として増やしていきます。

自転車店を活かす為には問屋さんも必要。その為の企画も用意しました。
メーカーさんのお困りごとにも全力で対応させていただく事で業界を活性化させたいのです。

僕にも家庭がありますから奥さんに渡す30万、僕の小遣いの5万、飛び回るのに必要な経費40万。毎月合計75万以上があれば僕が今まで身につけさせてもらった全てを業界の為に役に立たさせていただけると思うのです。

特に、東北はまだまだこれからなので新たな仕事として自転車屋さんの育成のお手伝いが出来れば産業復興のお手伝いが出来るのではないかと思ってます。

一人前の職人さん育てるのには経験を要するので時間が掛かります。今こうしていてもそういう職人さんが技術継承出来ずに廃業されていく事実にストップをかけたいのです。

地域に根付いた匠を育てる『匠育』として取り組みはじめました。

今までの経験と人脈にご協力いただいて業界の橋渡しで次の世代に残していきます。