活気ある店長(店主)への心構え


自転車屋ビジネスに限ったことでは無いのですが、私が客としていろんなお店に行った時など気づいたことについて書きたいと思います。

どんな商売でもうまく行く人とそうでは無い人があると思うのですがどちらにもそうなるべきして日頃の行動が積み重なっていると思うのです。

活気ある店長の条件を箇条書きにしてみました。

○笑顔を絶やさない

○いつも楽しそう

○声が通る

 ●腹から声が出ている感じ

 ●上記の3つが有ると活気の在る空気になります

○肯定系の会話(クヨクヨしていない)

 ●別途コンテンツにあげますが会話のコツというかメンタルにも波及する重要事項です。

○他店を褒める

 ●自店の優位性を主張する事よりも余裕が伝わる。

○値段の提示の時にいつものテンションで伝えられる

 ●修理代金が幾らか聞かれてトーンが落ちたり口籠ったりすると自信がない様に伝わる。(別途、お金のメンタルブロックでコンテンツにします)

○挨拶の声が大きい

 ●生理学的にも大きな声の振動が骨や脳に伝わり活性化するそうです。

他にもいろいろ要因が在ると思いますが、流行っているお店とそうでないお店の店長(店主)の違いを主観混じりですが羅列させていただきました。

特に自転車屋さんではこの差が激しいのですが流行ってないお店でも永年続けられている事がこのビジネスの凄いところなんです。

これが飲食業だとしたらすうねん保たないと思える事も続けられる。

今、箇条書きにした項目はお金を掛けずに自分自身の在り方を変えていくだけです。

『分かっているけど、なかなか出来ないんだよね』っていう部分なのかもしれません。別のコンテンツでメンタルマネジメントとして挙げていく予定ですので心の在り方、動き方、自分の動かし方など意識しながら叙々に下意識に落としていく事で叙々に変えていく事ができました。

変えていけるんならどうなりたいのかというのを心に決めて、さあやって見るぞと構えて見ることから始めて見ることですね。

敢えて『心構え』という堅い言葉にしましたがやり始めて見ることからいろんな物語が始まります。

お楽しみくださいませ。

ここまで読んでいただいたご縁に感謝いたします。

ありがとうございました。

一般社団法人 自転車技術者協会

代表理事 中根 和宏

匠伝承サービススタート

初めまして 代表理事の中根の自己紹介させていただきます

この度、一般社団法人 自転車技術者協会を立ち上げ自転車業界のお役に立てる様頑張ります。

1964年5月17日。愛知県岡崎市の自転車店の息子として誕生しました。

家業が自転車店なので幼少期はお店の道具遊んでいたりしました。子供心にこの雰囲気の時はこのおもちゃ(工具)を父が使う事も感じていました。

昭和49年頃。第二次石油ショックなるものが始まり近所のおばちゃんがトイレットペーパーを毎日血眼で買い漁ってるのを覚えています。

当時小学校二年生の私にもその波が押し寄せてきました。

学校から帰ると車輪を5本組み立てたら遊びに行って良いというものでした。

車輪は中心部がハブ(物流でのハブも同じ意味)、タイヤを嵌める輪の部分のリム、ハブとリムを繋ぐ番線状のスポーク、スポークを締め上げバランスを調整するニップルで構成されています。

それらを規則的にコンプリートしてバランスを取る事で車輪として機能するのです。

前と後ろではハブの構造が違う為組み立てる手順も全く違うのですがそのミッションが始まってからは暫く遊びに行けず毎日泣きながらやっていた記憶があります。

毎日遊びを誘いに来てくれる友達にゴメンと言いながらも何とか早くできる手段はないか子供心に探求しました。

車輪のコンプリートには仮組みと振れ取りの流れがあります。仮組みは部材を間違いなく取り付る、振れ取りは治具にかけてニップルを締めたり弛めたりしてリムをセンターに持っていく作業です。

小学2年の私のファーストミッションは仮組5本でしたので毎晩親父に早く組む事を教わって1ヶ月後には1時間かからずに遊びにいける様になりました。

手が小さいのと指も細いのでニップルを摘むのが容易だったのとスポーク採りが楽だったからだと思います。今となってはこの記録を再現できるかどうか判りませんが遊びに行くというモチベーションは大きく起因していたはずです。

暫くすると仮組、振れ取り3本というミッションに成る日が来ました。

暫く遊びに行けない日が始まりました。

どうしても車輪の縦、横が歪んでしまって真っすぐに回らないのです。

ここで仮組段階でのニップルの付け方に工夫をして仮締め上げする事でコンプリートする時間が早く成る事を身につけ無事、友達が待ってる公園に行く事が出来た訳です。

そんな事をしていくうちに高校を卒業する辺りでは大体のことを出来る様になっていました。

余り成績優秀で無かった為、卒業式間近迄内定が無く、うちに回って来るツノダ自転車の営業さんにお願いしたところ空きが有るとの事で小僧(今では死語になりました)として謂わば見習いで就職が出来ました。

名古屋市西区の卸屋さんに出向と言う形で配属されたのですが教えてくださる先輩方よりも子供の頃から身についた技術が凌駕しており互いに驚いたと共に重宝されたのも事実です。

7年の年期明け、様々な業界を渡っていましたがレーシングチームでお世話になっていたG氏より新たなブランドで自転車をリリースするから力を貸して欲しいと言う事で叙々に自転車業界へ戻って来ました。

当時は台湾でのOEM生産が主流に成りつつある時。

台湾の工場へ出向いて言葉が通じない中製品の組み立て精度を上げる実践勉強ができた事も大きな自信に繋がりました。

自由な会社でしたので経理以外の部門は開発から製造、営業、配送などやっているうちにユーザーさんの意見をそのまま製品や工場での加工などに取り入れることが出来る愉しさから会社に泊り込みで仕事していました。

今では働き方改革でブラック企業とか悪いイメージにされてしまいますが愉しい仕事に没頭する事が出来たことはラッキーでした。

今から6年ほど前、全国チェーンの某店舗に配達用に自転車を配備する案件を社で請けることになり、担当するチャンスをいただきました。

この時も上海の工場へ行き品質検査などをした翌日には日本で全国の自転車店さん、問屋さんにトラックに乗って営業とデリバリーをしていました。

名古屋からわざわざよく来たなってその土地土地の方言で喋っていただきこちらの条件をのんでお手伝いいただいくなかで、跡継ぎが居ないという大きな課題を日本中の自転車店が抱えて、高齢化して顧客が減っていく問屋さんの悩みをなんとか出来ないのかなという思いが悶々としておりました。

自転車に乗るユーザーの数は余り変化ないはずです。逆にロードバイク需要などから通勤に使われる方、健康を気にしたり駐車場の問題で電動アシストにシフトされる方々、経費削減の為営業車を自転車にされる企業など自転車人口は増加していると思います。

新車を売るのも大事ですが直す人が減っている現代。ここで職人(匠)を育てていく必要性を感じております。

自転車店というと汚い、手が汚れるとか暗いとかいうイメージが先に出てしまいますがそこを一新して新たなビジネスとして捉えていけばみんなが喜べる業界、社会になると信じております。

昨年、幼少からの師でもある親父が他界しました。

実家の電話を転送して名古屋で受けていたのですが知らないところでこんなに自転車修理の需要があるんだという事、修理に困って遠方から頼み込んで来られる方、量販店に持って行ったら新車を薦められたが思い入れがある自転車だから何とかして直したい。

そんな電話がワンサとかかってきました。

名古屋と岡崎という事でお時間いただける方は後日対応させていただきましたがそこには親父が残してくれた自転車店存続の大きなヒントを見つける事が出来ました。

これら、私の持っている全てを使って業界のお役に

立たさせていただきます。

『自転車に携わる全ての人に笑顔を』

を理念として2020年4月5日起業の準備をさせていただいております。

今後共、お知りおきいただけましたら幸いです。

一般社団法人 自転車技術者協会(2020/4/5設立)

代表理事 中根和宏